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名古屋地方裁判所 昭和51年(ワ)2436号 判決

原告

橋本弘

橋本昌子

原告両名訴訟代理人

西村諒一

被告

名古屋市

右代表者市長

本山政雄

右訴訟代理人

鈴木匡

外四名

主文

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

そして、〈証拠〉を総合すれば、訴外進は、本件事故当時、他の学童三名とともに、本件溜池の西側堤塘敷上を南北に通じる小路からその側端に添つて張りめぐらされているガードレール及び木柵をくぐりぬけて、別紙図面(イ)付近の堤防斜面に設置されている排水口(余水はけ)付近に降り立ち、そこでざりがに釣などをして遊ぶうち、過つて本件溜池に転落して溺死したものであることを認めることができる。

二そして、本件溜池が当初は農業用水池として人工的に築造されたものであることは当事者間に争いがないところであるから、本件溜池は民法第七一七条にいわゆる土地の工作物に該当するものということができる。

そこで、本件溜池及びその周辺の状況についてみるに、先ず、本件溜池の西側堤塘敷は南北に通じる小路となつていて、その北側進入口には、「車乗入禁止」との立札が設置されており、右小路の両側端及び本件溜池とその北側を東西に走る市道の境界付近にはガードレールが設置されていること並びに本件溜池とその南側にある山林の境界付近には針金を横に張りめぐらせた木柵が設置されていることはいずれも当事者間に争いがない。

そして、〈証拠〉によれば、次のような事実を認めることができる。

1  本件溜池は、名古屋市が昭和三五年六月一日に都市公園法第二三条の規定に基づき名古屋市告示第九九号をもつて公園を設置すべき区域と定めた区域の一角にあつて、その形状及び付近の状況は別紙図面のとおりである。

そして、本件溜池の南側及び西側には山林があつて、民家の密集する地域とは相当の距離が保たれており、また、本件溜池の東側及びその北側を東西に走る市道の北側にはそれぞれ遊園地があつて、これに引続いて民家が点在している。

これらの地理的条件よりすれば、一般に学童らが本件溜池付近において遊ぶことのありうべきことは十分予見できるところであり、現に学童らが本件溜池においてざりがに釣をしていることもときどきみられた。

2  本件溜池は東西約一三〇メートル、南北約六〇ないし一〇〇メートルの広さを持ち、夏期には満水状態になることが多く、本件事故当時においても、そのような状態にあり、水深は最も深いところで約二メートル、大部分のところが1.5ないし1.8メートルであつた。

従つて、原告らの主張するように本件溜池は特にすり鉢状の形状をなすものではなく、むしろ底辺は平面に近い緩やかな傾斜面をなしているものである。もつとも、本件溜池の西側堤防の内側は、一面にコンクリート・ブロックが敷設されていて、かなりの急勾配の傾斜面を形成している。

3  本件溜池の周囲には、本件事故当時、別紙図面に表示したとおり、(ロ)、(ハ)、(ニ)の各点を結ぶ曲線上及び(ホ)、(ヘ)の各点を結ぶ直線上には、それぞれ高さ約六〇センチメートルのガードレールが設置されていた。

同様に、(ト)、(チ)の各点を結ぶ曲線上には一定の間隔をおいて高さ約1.3メートルの木杭が打たれ、その頂上部には横木が取り付けられ、右横木と地面との間には約二〇ないし三〇センチメートルの間隔ごとに二ないし三本の鉄線が横に張りめぐらされていた。

そして、訴外進が本件溜池に転落した前記排水口付近には、人が右排水口付近に降り立つことを阻止するため、特に右ガードレールと右のような木柵が二重に張りめぐらされ、そのうえ右木柵の中位には更に一本の横木を取り付けて、鉄線を補強するようにされていた。

また、別紙図面の(ロ)、(リ)の各点を結ぶ曲線上には、角型鋼管製の柵が設置されていたものである。

これらのガードレール及び柵は、前記の市道に添つて設置された別紙図面(ロ)、(ハ)の各点を結ぶ曲線上のガードレールが右市道を通行する自動車等の本件溜池への転落を防止することをも目的としたものであることは当然であるが、その他はいずれも人が本件溜池に接近し転落するのを防止し又は本件溜池に接近することが危険であることを警告することを目的として設置されたものである。もつとも、これらガードレール及び柵は、人がそれを乗り越えたり又はそれをくぐり抜けてその内側に入り込み、本件溜池に接近することを物理的に阻止し不可能とするまでのものではない。〈中略〉

4  更に、本件溜池の周囲には、名古屋市、千種警察署又は富士見小学校名において、合計六か所に、「立入禁止 魚つり禁止 名古屋市」、「あぶない よい子はここであそばない」、「きけん ちかよるな」などと表示した立札が設置されていた。

三しかして、被告が本件溜池(但し、堤塘敷を除く。弁論の全趣旨によれば、右堤塘敷は国有地であることが認められる。)を所有し、かつ管理していたものであることは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、被告は本件溜池を含む一帯の地域を都市公園法第二三条にいわゆる公園予定地として管理していたものであることを認めることができる。

右事実によれば、被告は本件溜池を事実上支配し、その設置及び保存に瑕疵があるときはそれを修補して損害の発生を防止しうる関係にあるといいうるから、被告は本件溜池の占有者でもあるということができる。

四そこで、本件溜池の設置又は保存の瑕疵の有無について判断するに、既に認定したとおり、学童らが本件溜池及びその付近において遊ぶことのありうることは十分予想しうるところであり、本件溜池の西側堤防の内側はかなり急勾配の傾斜面を形成していて、ここに学童が転落した場合においては直ちに水中に没入して溺死する危険性があるのであるから、本件溜池は危険な工作物であるということができる。

そして、このような危険な工作物について損害の発生を防止するに足る危険防護設備が欠けているときには、当該工作物にはなおその設置又は保存に瑕疵があるものとすることができることはいうまでもない。

従つて、問題は、右にみたような本件溜池の危険性の程度に鑑みて、前記認定のようなガードレール、柵及び立札を設置することで危険防護設備として十分であるとなしうるか否かにあるところ、確かにこれらのみをもつてしては、学童が本件溜池に接近することを物理的に阻止し、不可能とするものではなく、強いて右ガードレール及び柵の内側に入り込もとする者に対しては無力というほかない。

しかしながら、工作物の設置又は保存の瑕疵の有無といつても、それは結局のところ個々の事件における責任の帰属を定めるための概念にほかならないのであるから、あくまで被害者の危険認識能力及び危険回避能力との相関において相対的に決すべきことであり、およそ当該工作物が一般的に危険防護設備として万全なものを具備しているか否かによつて決すべきことではない。従つて、例えば、弁識能力に欠ける幼児が監護者の手を離れてある特定の溜池に転落し、そのような事態の発生が一般的に予想しうるような場合において、右のような程度の危険防護設備では足らず、幼児が当該溜池に接近することを物理的にも阻止するに足る設備を設けない限り、工作物の設置又は保存に瑕疵があるとする一方において、同一工作物について、被害者が通常の危険認識能力及び危険回避能力を持つ者である場合においては、右の程度の危険防護設備で足り、当該工作物の設置又は保存に欠けるところはないとするようなことがあつても何ら差し支えないところである。

これを本件についてみるに、訴外進は本件事故当時既に七才一一月に達していたものであるから、既に認定したとおりのガードレール、柵及び立札が設置されていた以上、これらによつて本件溜池に接近した場合の危険性を十分に認識しえ、かかる危険を回避する能力を有していたものと推認することができるから、訴外進との関係においてみる限り、本件溜池の危険防護設備としては、少くとも本件溜池に接近することの危険性を警告し、軽々しくその内側に入り込むことができない程度の制止的な効果は十分持つと認められる前記のような設備をもつて足るものというべきであり、本件溜池の設置又は保存に瑕疵があつたものとすることはできない。

五従つて、その余の争点について判断するまでもなく、原告らの本訴請求は理由がないものというべきであるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条及び第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(村上敬一)

別紙図面〈省略〉

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